明日中に残っているやるべき事を済ませる必要がある。峠はピークで、すべきことが待っているが、引き受けた以上学生の指導もする責任がある。わからないことがわからない学生も可哀想だが、1年を振り返ってみて、支払った学費に見合うだけの自己の成長がないことに気づけない学生も可哀想だ。小学校や中学校のように、大学に来て座ってるだけで卒業できると勝手に思いこんでいる学生がどのくらい大学に入り込んでいるのだろうか? だけど、僕の周りではじわじわと、わからないから教えて欲しいと直訴してくる学生が出始めている。彼らは、こちらの想像をはるかに凌ぐ初歩の初歩の初歩の初歩くらいの段階で躓いていることが多い。そして理解力の低い学生の共通点ではないかと感じていることは、「字がしっかり書けない(正しい字を書けるという意味ではなく、鉛筆をしっかり握れないに近い意味あいで、字が泳いでいるというか流れているように見える。)」、「書いた字の濃さが薄い」、そのくせ「消して書き直すときには、きっちり消していなくて、消す前の字の線が残っている」、「字が下手で、丁寧にも書こうとしていない」、「板書するときに写し間違いが2行に1つはある」、「字をできるだけ書かないようにあの手この手で、手を抜く努力する」ことだ。結局の所、家で勉強するにも自分の書いた字が判別できないか、ノートに書いた内容が読めなくて復習できないということになっているのではないかと、勝手に推測している。それが、恐らく小学校の頃から続いているだろうから、長く続いた習慣をそうは簡単にも変えられず、結局のところ本人の意識が変わらない限り、外から何を言おうと救いようがないのかも知れない。一番(本人が)困るのは、「自分が理解できていないことに対して知らんぷりをする」学生だ。僕はそういう学生には厳しく接している。多くの場合、このタイプの学生は、自分側がわかっていないことを教員に悟られまいと、いかにもわからないことが当たり前であるかのように周りの学生もわからないでいるように、巻き添えを作りながら自分を隠そうと試みているように教壇の上から観察していると見えてくる。

日本で大学を卒業することの価値が、諸外国から低く評価され始めないかとじわじわと、とても気になっている。